「弱ぇのは強ぇぞ」というパワーワード
転職先が決まり、仕事が始まるまでしばらく時間があるということで、父が勧めてきた本がありました。
父「これ、面白かったぞ〜」
私「おーそれね、面白そう、読む読む(朝ごはんもぐもぐタイム)」
〜15分後〜
父「ここに置いといたぞ〜」
私「…あーはい!」
父、めずらしくゴリ推しじゃん(心の声)…
前から興味ある内容でもあったので読んでみましたが、それは史上最悪、前代未聞と言われた凶悪犯罪の真実に迫ろうとするお話。
読んでいる最中は「うわ・・・」とか「え・・・」などと頭抱えることになりました(推しのビジュ100点満点の時に言ってしまう「頭抱えた〜」とはもちろん別)。
ちなみに、そんな脳みそフル稼動の時間を過ごした日の夜、カイくんがインスタライブをしてくれました。
健全で善良な青年(もうすぐ26歳)が生き生きとおしゃべりしてるのを見れて、ホッとしましたね。
カイくんありがとう。
その本を読んでいて考えたのは、
・人と話すのが苦手で自分の気持ちを上手に伝えられなかったり、生活の色々な面で誰かのお手伝いが必要だったりする「弱さ」を抱えた方々について
・「バッタマン」の「弱ぇのは強ぇぞ!」という一言について
でした。
学生時代に「弱さの強さ」という言葉を聞いたことがありました。
弱いのに強い??
矛盾しているような言葉ですが、「強く繋がっている相手よりも、弱く繋がっている相手の方が、自分にとって大切な情報を教えてくれる」という意味でした。
毎日顔を合わせる身近な人との関係は、心の拠り所になるほっと落ち着く関係が多いでしょう。
一方で「久しぶり!」という挨拶から始まる相手、年に何回か会うか会わないかの相手とは住んでいる環境が大きく違っている場合が多いと思います。
そんな相手は、生活の仕方や周りの人間関係など自分が知らない世界を知っているので、刺激的な情報やちょっとしたヒントをくれるかもしれない、ということです。
だから、滅多に会うことがない「弱い関係性」も、大切な情報を交換できるという面に関して言えば「強い」のです。
では、「バッタマン」の「弱ぇのは強ぇぞ」とは、一体どんな意味なのでしょうか。
「こんな意味にもとれるよね!」という、あくまで自分の願望ですのでご了承ください(笑)
①超特急と8号車の「弱い」関係
②「弱さ」があるから一緒に走りたくなる
・「夢の切符は君と掴むんだ」
・「まあ ようするに そばにいたい」
①超特急と8号車の「弱い」関係
先ほど述べたように「弱い関係性だからこそ大切な情報やヒントをくれる」という意味です。
弱い関係だ、と言えば誤解がありそうなので、超特急と8号車は「アーティストとファン」という関係としては「強い絆」だとわたし自身思っていることを、まずお伝えします。
その前提で、「人と人」という関係としては、毎日顔を合わせて直接話すようなつながりではないから、「弱い関係」ということです。
「弱い関係」つまり、生活している環境や人間関係が違うことによって、物事の考え方や感じ方も違っていて、自分にはない何か別な視点を教えてくれるのです。
8号車が疲れたり迷ったり悩んだり辛いことがあったりすると、目の前の壁をドンガラガッシャン壊してくれる大切なヒントを与えてくれるのは、こういうことなのかなと思いました。
最近だと、カイくんがインスタライブで「自分を好きになれません」という8号車の悩みに答えていたのが素敵でした。
②「弱さ」があるから一緒に走りたくなる
超特急は「メインダンサー&バックボーカル」「変顔」「ダサかっこいい」が特徴のグループで、一般的な「みんなで踊って歌う」「キレッキレに格好いいダンスをする」グループとはちょっと違います。
ちょっと違うとはつまり、「一般」「多数派」ではなくて「少数派」と言えるのではないかなと思います(いつかのバズ○ズムっぽい話)。
話は逸れますが、以前地元の同級生と久しぶりに会った時に超特急を話題にしたら、やはりお決まりの「韓流?」「芸人?」という言葉が飛び交い、挙句の果てには「アイドルなのに○○ってウケるね」という感じでした(アイドルではないのよ🙃)。
そういう言い方をされたのが嫌だった!というわけではなくて、みんなで超特急について話せてすごく嬉しかったということなんですが、普段ズブズブに沼ってるわたしとしては彼らの知名度を体感した貴重な経験でした。
(ちなみに、超特急を知らない人に集合写真を見せた時に「格好いいね!」と、9割方消去法ではなくてお好みの号車がちゃんと決まるので、いつも心の中でニンマリしてます。)
年末年始に大阪城ホールや代々木、埼玉スーパーアリーナでライブができるほどの実力がありながらも、紅白出場やMステ出演を目指して「まだまだこれからです」というところ。
「これってダンス&ボーカルグループが出る番組?」というアウェーな環境も、団結して乗り越えているところ。
「多数派」とはちょっと違った方向性で夢を叶えようとするところ。
そこから見える愚直とも言える姿は、「自分たちの弱さを知った上で走り続ける強さ」だなと思います。
そんな彼らに「夢の切符は君と掴むんだ」って言われたら、「ぜひともそうさせてください!一緒に走り続けます!😭」という気持ちになりますね(笑)
それから。
誰だって、愚直に食らいついても理不尽なことや上手くいかないことってありますよね。
「まだまだこれから」「アウェーな環境」と前述したように、8号車にはステージに立って輝いている姿しか見せなかったとしても、きっとこちらが想像している以上に苦労がつきものなんじゃないかなと思います。
だから逆に超特急も、8号車1人ひとりにそれぞれの人生があって、もちろん良いこともそうじゃないこともあるのだと、わかってくれているなぁという気がします。
節目節目に「ライブの時は一旦現実を忘れて」とか「8号車も笑いたくても笑えない時ってあると思うから」という言葉が出てくるので、こちら側としては「そうそう、そうなの!わかってくれるんだね!」って共感してもらえた感じがするのです。
つまり、「自分たちの弱さを知った上で8号車に共感してくれる」ところが超特急の「強さ」なのではないかなと思います。
「まあ ようするに そばにいたい」と寄り添って共感してくれたら、「ぜひとも!これからも一緒に走り続けますとも!😭」と言いたくなりますね(笑)
ステイホーム期間中、超特急は色々な動画をあげてくれました。
その中でも特に好きなものが「Stand up 手話Ver.」です。
おててがお好きな方々(ワタクシもその一員)にとっては、推しのおててをこれでもかと言わんばかりに見られる映像なので、ありがたや〜ありがたや〜な訳です。
そしてそれ以上に嬉しかったのは、「超特急を現在好きな人たち」そして「これから超特急を好きになる人たち」には、色々な立場の人がいるということを、超特急が理解してくださっているんだな、と感じられたことです。
メインダンサー&バックボーカルのグループとはいえ、音楽がないとダンスは踊れないですよね。
ダンス素人なのであまり偉そうに言えませんが、音楽なしで個人練習は出来たとしても、複数人で合わせるとなると音楽がなきゃ厳しいだろうなと思います。
それに、歌詞の世界観を表現するのもダンスの役割なので、やはり音楽ありきのダンスではないか、と思います。
タカシくん・・・いつもいつもお疲れさま、そして本当にありがとう😊(突然の謝意)。
それほど大事な音楽だから、手話で「Stand up」を発信して、耳が不自由な人たちにも超特急の音楽を楽しんでもらいたかったんだろうな、
「君と僕なら間違いないから、前を向いて夢を乗せて、これからも一緒に走っていこう」というメッセージを、歌詞カード(ライブ映像やMVが楽しすぎて目が釘付けになっちゃうから、同時に見るのはほぼ不可能)だけではなく、メンバーのパフォーマンスとして色々な立場の人に届けたかったんだろうな、と思いました。
「耳が聞こえないマイノリティー(少数派)」の目線に立つということは、華やかでキラキラした芸能界の中でもあえて「世間の王道(主流)」を追い求めすぎずに、「ダサかっこいい」という王道から少し外れている彼ら、ある意味ではマイノリティーとも言える彼らだからこそ出来たことかもしれません。
「弱ぇのは強ぇぞ」の精神を持った超特急だからこそ、温かくて深くてメッセージ性のある動画になったのではないかなと思います。
これから先、超特急が今よりも有名になって、日本全国誰もが知っているようなグループになったら。
「ダサかっこいい」が「世間の王道」になったら。
きっとその時は、今とは違った気持ちで彼らのことを見ているかもしれません。
でも。
「これまでの全てをなかったことにしないために」
彼らを取り巻く環境がどうなろうと、8号車を笑顔にするため、それまで彼らが積み上げてきてくれたものに変わりはありません。
どんな形になるかわからないけれども、「これって超特急にしかできないことだな」と気づきながら応援していける気がします。
(↑こんな偉そうに・・・わたしは誰ですか 笑)
これから。
わたしは人とお話するのが苦手だったり、誰かに生活を支えてもらうことが必要だったりする「弱さの強さ」を抱えた方たちと関わる仕事をします。
超特急が手話を届けたように、いつかわたしもそんな方たちに、超特急という素敵なグループについて、わかりやすい言葉や表現で伝えたいな。
まだ、夢でも目標でもないただの「願い」みたいな、ぼんやりした形だけど、そう思っています。