超特急のこと

日々の生活の中で超特急についてあれこれ考えたことを、徒然なるままに書いています。

むらちゃん経由で知る世界

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写真元:【踊ってみた】僕は今日も/Vaundy【むらちゃん】

https://youtu.be/BWwRlI2R17o?list=RDBWwRlI2R17o

 

 

 

 

ある時、たまたま目の前にあった「超特急」というドアを開けると「超ネバギバDANCE」というドアがあって、それを開けると次に待っていたのは「ユーキくん」のドアでした。

「ユーキくん」のドアを開けると「ライブ」「おさなな」「アニメ」「SNS」「You Tube」「公式グッズを選ぶ楽しさ」etc...と一気に視界が広がりました。

 

そうやってどんどん進んでいくうちに、「好きな音楽」という道の幅は広くなり、「ただ当たり前に存在していたもの(数字、色、季節、日付など)」から感じる幸せはどこまでも天高く伸びていきました。

そして、「人と人が同じ時代に生まれ同じ時を過ごし、かけがえのない空間を作り上げる」という「奇跡」。

その奇跡がもたらす目が覚めるような驚きと喜びを、せっかく生まれてきたこの世界に、強くしなやかに刻み続けたいと思うのでした。

 

 

 

 

 

あちゃちゃちゃポエムだな〜(笑)

 

 

 

自己陶酔的に語ってしまいましたが、超特急を好きになったからこそ飛び込めた世界が確かにあります。

超特急のおかげで好きな物ややってみたいと思うことが、確実に増えました。

 

きっと超特急を好きでいる限り、広がり続ける世界は日々更新されていくでしょう。

 

 

 

 

超特急から繋がった世界・・・「むらちゃんの秘密基地」もその1つです。

今もどこかで、むらちゃんをきっかけに超特急の沼にドボンする人がいるかと思うと嬉しいです。

その一方で、「超特急→むらちゃん」つまり「正規ルート(と言っていいのでしょうか)」を通ったわたしの、毎週金曜日のワクワク感といったら。

 

ダンスに料理に仮装に焚き火って、ギャップ大きすぎてメーター振り切れてる(笑)

 

 

 

 

その中でも「踊ってみた」を見なければ真面目に聴くことはなかっただろう、むらちゃん激推しVaundyさんの「僕は今日も」。

 

 

この曲を聴いて、そしてむらちゃんの「踊ってみた」を見て、「自分の人生を生き抜くとはどういうことなのか」感じたこと・考えたことを、素直な言葉でここに書き残そうと思います。

 

 

 

母さんが言ってたんだ
お前は才能があるから
「芸術家にでもなりな」と
また根拠の無い夢を語る

父さんが言ってたんだ
お前は親不孝だから
1人で生きていきなさい
また意味もわからず罵倒する         

 

※ 僕は今日も/ Vaundy より一部歌詞抜粋

 

 

世の中には色んな親子の形があるから皆そうだとは限りませんが、自分のことを一番理解してくれるのはやっぱり親だなと、時折思っています。

 

「それ、あなたに向いていると思うよ」と応援されたら「やっぱり!?実は前からやってみたいと思ってて、将来的にはこういう風になりたいんだ・・・」と根拠が無くてもつい語りたくなってしまいます。

「向いている」「あなたに合ってるから○○を目指してみたら」という一言は、簡単な言葉のようですごく重たい一言です。

良くも悪くもその人の人生を決定してしまうかもしれないから。

一番の理解者であり、時には人生を一緒に背負ってくれる親だからこそ、はっきりとした確信が持てなくても、子どもの背中を押すために言ってくれるのですね。

 

 

また、応援の仕方はそれだけではありません。

あえて厳しい言葉を投げかけることで、子どもの可能性に賭けてみる親もいると思います。

親に言われた辛辣な言葉でへこたれているようじゃ、夢なんて叶えられないからです。

踏み込んでいく世界が、芸能や芸術のような自分の才能と実力と運で勝負する、本当に本当に厳しい世界なら尚更です。

「親不孝」「ふるさとを捨てるのか」「趣味で続けたら?」

言われる側は「自分をこれっぽっちもわかってくれない」と、親への不満をぶちまけたくなります。

大切に思ってくれる親の気持ちに気づかずに。

 

 

 

おそらく人生のどこかの段階で、人は何かしらの言葉を親から受け取ると思います。

むらちゃんも、ご両親からの言葉を覚えているのかな。

 

 

 

 

 

 

1人ではないと暗示をして
2人ではないとそう聞こえて
思ってるだけじゃ そう 辛くてでも
そうする他にすべはなくて
愉快な日々だと暗示をして
不協和音が 聞こえてきた
抑えてるだけじゃ そう 辛くて
だから この気持ちを

弾き語るよ

 

※ 僕は今日も/ Vaundy より一部歌詞抜粋 

 

 

こんなに苦しい思いをしているのは自分だけじゃない、自分には仲間がいる。

でも、自分の苦しみを完全に理解してくれる人なんていないし、仲間だってそれぞれの生活があるから心配をかけたくない。

でも、誰かそばにいてくれたらな。

 

好きなこと、やりたいことで生計を立てている。

これ以上に楽しくて幸せなことはないはずだ。

でも、「自分がやりたいこと」と「周りから求められていること」はいつも同じではなくて、理想と現実のギャップがある。

今の自分は夢を叶えるために前進できているのだろうか。

 

 

日々悩んでいるからこそ、この気持ちを待ってくれている人たちに伝えたい。

 

 

 

この歌詞からは、どうしても無くすことが出来ない「闇」と、体の内側から燃えたぎるような「熱」を感じます。

 

 

 

もしも僕らが生まれてきて
もしも僕らが大人になっても
もしも僕らがいなくなって
いても そこに僕の歌があれば
それでいいさ

 ※ 僕は今日も/ Vaundy より一部歌詞抜粋

 

 

 

と、ここまで好き勝手に書いたところで一度手を止め、むらちゃんの「踊ってみた」を見直してみました(以下はあくまで個人的な感想ですので、ご自分のイメージを大切にしたい方は閲覧注意です)。

 

 

 

 

 

 

 

すると、ただただ圧倒的で純度100%の「孤独」を感じました。

 

Aメロは親の言葉を表現しているとは思えないくらい激しくて残酷。

それ以降も、他者を寄せつけないくらいに手足を強く動かして、投げ飛ばしたり殴ったりしているよう。

そして、「抜け出せない」のかそれとも「抜けようとしない」のか、いつも闇の中。

 

サビでやっと光に照らされ、伸び伸びと柔らかく、しなやかな動きをしたと思ったら、ラストはすごく哀しげな表情。

 

 https://twitter.com/maaaaay12816/status/1329005102544293889?s=20

正直最初に見たときは、むらちゃんのパフォーマンスから何かを感じ取るほどの力がわたしにはなかったのですが、歌詞の意味を自分なりに考えてからもう一度見てみると「あぁ、ほんとに1人なんだ」と、「孤独」が自分の中にスッと入ってきました。

 

 

でも、不思議と「絶望」ではなくて「希望」なんですよね。

最初から最後まで。

 

 

ちなみに、このパフォーマンスでの表情や身体の動かし方はなんとなくだけど「Beautiful Chaser」や「Snow break」が思い出されて、ステージでの経験が自然と土台になっているのかなと勝手ながらに思いました。

むらちゃんすごい。

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、再就職に合わせて新しい環境で暮らし始めました。

今は毎日が刺激的で充実していて楽しいです。

 

でも時にはやっぱり、「運がなかったなぁ」「やらかしたなぁ」ということも大なり小なりあります。

近頃は疲れもたまっていたのか、将来の色んなことを考えすぎてしまったり、他人が羨ましくなったりした日がありました。

 

 

そんなわたしに母が一言。

「○○の人生なんだから、好きなように生きなさい」

 

 

我に返りました。

 

そうだよな。

色んな人に色んなことを言われたとしても、どんな風に生きていくのか決めるのは自分しかいない。

生まれてきて、大人になって、死んでいくのは絶対に変わらない事実なのだから、限りある命の中でやりたいことを自由にやって、思うがままに楽しんで良いんだ。

 

何かを残せたとしても、残せなかったとしても、自分を大切に出来れば「それでいいさ」だよな。

 

 

 

そしてふと思ったのです。

もっと自分を大切にしようと。

 

むらちゃんのTwitterに「ありがとう」「素敵」「楽しみです」と書いたなら自分に対して「おつかれさま」「成長したじゃん」「これから良いことある」と思ってみること。

 

「やりたいこと」や「やるべきと思ったこと」を表現して届けるのが、視聴者の幸せを生むだけではなくむらちゃんのためにもなっているのなら、むらちゃんに感謝や応援の言葉を送るのは、同時にわたし自身のためにもなって良いのではないかと。

 

 

 

むらちゃん(ユーキくん)を応援するように、自分の一番の応援者であれ!と思ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕は今日も」の曲丸々通して特に好きなのは、ラストのサビです。

 

もしも、現実の自分とは全く異なる自分だったら、どんな人生になっていただろうか。

 

親元を離れたので、テレビで親の介護をしている方なんかを見ると、「自分は介護しないのかなぁ」なんて、将来のことを考えてしまいます。

 

 

ここの部分の歌詞は、a kind of loveの「僕の知らない世界もそれなりにハッピーなんだろう」に通じていると思います。

 

 

 

 

「もしもわたしが地元で働き続けて」

「もしもわたしがパリピで」

「もしもわたしが超特急に出会わなかったら」

 

 

いやーそれなりに幸せなんだろうけど全く想像出来ないし、そんな世界を生きたいとも思わない!!(笑)

 

 

やはり「それでもね 君のいるここが居場所なんだよ」が、答えなんですね。

 

 

 

 

むらちゃん(ユーキくん)や超特急を通して色んな世界を知り、自分なりに物事を考え、時々文章にするのがすごく楽しいです。

毎度毎度彼らには本当に感謝しています。

ありがとう。

 

 

そして最後にただ1つ言いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生誕まだかな😊

 

 

 

 

 

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